人間関係は相手の理解から。気をつかう必要はないんです。

最終更新日 2022年8月17日

 

 

こんにちは、まなみちです。

 

いつも閲覧いただき、ありがとうございます。

 

職場、学校、地域社会、親戚関係など、人間関係で気をつかう場面は無数に存在します。

 

そんな人間関係に人々は疲れ、昨今ではあえて接触機会を社会全体が減らしている傾向にあると感じています。

 

しかし、皮肉にもそれがまた新たな悩みのタネを生み出してしまうという現実もあります。

 

 

なぜ、人々は人間関係に悩んでしまうのでしょうか?

 

 

あなたも、少なからず様々な場面で感じている、人間関係の難しさ。

 

 

今回の記事では、そんな人間関係をテーマに考察していきたいと思います。

 

 

 

人間関係の悩みはどこからくるのか?

 

 

社会の色々な場面で存在する、人間関係の悩み。それは年代に関わらず、その年代にあったかたちで存在しています。

 

例えば、仕事上の人間関係の悩みは社会人が持つ悩みの中で常に上位であると感じます。

 

職場の離職状況について、アンケート調査を行っても、待遇にはある程度満足していても、人間関係に悩みがあるために会社を辞めてしまう、といった事例が非常に多く存在していることを実感しています。

 

 

どういった人間関係の悩みが存在しているのでしょうか?

 

 

ひとつに挙げられるのは、“自己中心的な人”が身近にいると、人はその空間にいるだけで窮屈さを感じてしまう傾向にあるようです。

 

そういった自己中心的な方はいつも周りに悪影響を及ぼすような態度や行動をとることで、周りの方々はそれをネガティブに感じ、大きなストレスとなってしまうようです。

 

ストレスを抱えてしまった空間では、さらに別の人間関係にかかわるトラブルとして、いじめや対立などが発生する可能性もあります。

 

そうなってしまうと、いじめや対立に問題意識がフォーカスされてしまい、元々あった人間関係の悩みに目がいかなくなり、ずっといじめや対立は生まれては消え生まれては消え・・・を繰り返します。

 

 

現代社会でも、いじめや対立のような問題が大きく取り上げられてますが、いきなりそのような問題が発生するわけではありません。

 

元々はほんの小さな、人間関係にかかわる悩みなどが火種となって、そういった大きな問題に発展しているだけなのです。だから、火種が消えない限りは、永遠と燃え続けてしまうのです。

 

燃える炎はつかみどころがありません。また、燃える炎事態に善悪は存在しません。そこに、「誰が悪いのか?」という思想を持ち込むことで燃える炎をはさらに、“燃えさかる炎”になってしまい、誰にもそれを消すことは出来なくなってしまいます。

 

 

実は、“起こっている人間関係には実体がない”ということが人間関係の難しさを助長させているのです。

 

 

では、なぜそのようなことになってしまうのか?もう少し踏み込んで考察してみましょう。

 

 

 

人間関係はなぜこじれてしまうのか?

 

 

 

『信頼は一日にして成らず、失うは一瞬』と言われるほど、人間関係はいとも感単に崩れてしまいます。

 

 

昨日まではあんなに仲良くやっていたのに、ほんの些細なことで交わることのない関係になってしまう。あなたにもそんな経験があるかもしれません。

 

お互いに信頼しているはずなのに、なぜそんなことが起こってしまうのか?なぜ人間関係はこれほどまでに脆いものなのか?少し考察してみることにします。

 

 

まず、そもそも、本当に人間関係が築けていたのでしょうか?

 

 

人間関係を築く際にお互いに少なからず気をつかって相手に接すると思います。その際に接したあなたは、本当にあなた自身なのでしょうか?

 

人間関係をスムーズにするために、お互いに気をつかっている状態、それはお互いに“相手に対する誤解が生じやすい状態”であると言えます。

 

 

「相手はわたしのことを分かってくれている」

 

「わたしは相手のことをよく分かっている」

 

 

お互いにそういったかたちで分かりあっている=信頼関係が出来ている状態と思い込んでいます。

 

 

しかし、もしここで、お互いに相手の事について誤解が起きていれば、「わたしのことを分かってくれていない」と感じるのはごく自然な流れです。それが今まで信頼していた相手ならば尚更です。

 

人間関係の悩みはほとんどが、ほんの些細な誤解から生じていると考えています。

 

厄介なのは、その誤解についてお互いに認識していないケースが多いということです。その誤解が実際に“すれ違い”というかたちで現れた時、今まで築いてきたはずの人間関係に疑念が生じてしまうのです。

 

これはお互いを取り巻く環境に変化があった時に起こりやすいと考えています。例えば、恋人から結婚相手に変わった時、何かのプロジェクトを進め始めた時などが挙げられるでしょう。

 

 

今まで好意を抱いていた相手に対して嫌悪感を感じてしまうほどになってしまうのは、本当に不思議なことなのですが、起きていることはごく自然なことなのです。

 

 

 

その人間関係は確かに存在していますか?

 

 

 

“人間関係”というもの自体にフォーカスして少し考えてみましょう。

 

 

ほんとうにその人間関係は存在していますか?

 

あなたが勝手にそう思っているわけではありませんか?

 

 

人間関係というものは、不思議な存在で、それ自体には実体がないはずなのに、確かに存在しているかのように感じます。

 

極端に言ってしまえば、あなたが作り上げてしまった幻想である可能性もあります。

 

 

好き嫌いを判断してしまう。

 

“好きでもなく、嫌いでもない”、ではいけないのでしょうか?

 

好き嫌いを判断基準に置いてしまうのは、あなた自身が“好きな人の分類に属していたい”という思いがあるからではないでしょうか?

 

「ひとに好かれたい」という気持ちを持つことは誰にでもあることだと思います。それは「嫌われたくない」の裏返しでもあると思います。

 

あなたがそう思うことは自由です。しかし、それを誰かに強要することは出来ません。あなたのことを、好きになるか嫌いになるかはその人の自由だからです。

 

 

あなたがあなた以外の方の好き嫌いをコントロールすることは出来ないのです。

 

 

ただ、あなたの想いを相手に伝えることは出来ます。その場合も最終的に決めるのは相手の方次第なのです。

 

だから、“人間関係で裏切られた”は存在しないことになります。冷たい言い方かもしれませんが、裏切っている人はそこに居ないのです。当然、裏切られているあなたもそこには居ません。

 

それじゃあ、気をつかっても何の意味もないじゃないか。と、あなたは思うかもしれません。

 

 

そうなんです。だから、気をつかわなくていいんです。

 

 

それはどういうことか?次の項でわたしが実践したことについてご紹介したいと思います。

 

 

 

【実践編】“気をつかわない”をあえて実践してみた。

 

 

 

わたしはずっと、気をつかえる、そんな人間だと思って生きてきました。

 

事実、人間関係に関しては問題を感じたこともなく、誰とでも上手く付き合うことが出来ていると感じていました。

 

 

それがある日突然、“自分は全く気をつかうことが出来ない”、そう思わざるを得ないことが起こります。

 

 

一番身近である存在、わたしの“妻”に対して気をつかうことが出来ないのです。わたし自身は全てにおいて気をつかっている、そう思っていたのに、です。

 

そんなある日、わたしのことを鑑定して頂ける専門の方と出会い、わたしの性質について鑑定して頂いたところ・・・。

 

なんと、わたしは『気をつかえない人』だったのです。

 

それなら、いっそのこと、「気をつかわないことを実践してみようじゃないか」と。上手くいくかは分からないけれど、それを実践してみることにしました。

 

 

すれ違いを感じていた妻に対しては、わたしの考えていることをありのままに伝えることにしました。

 

すると、当然のように妻の方からも意見が飛んできます。それをそのまま受け入れるのです。

 

ここで従来であれば、「じゃあ、どうすればいいかな?」と解決に持っていこうとしていました。それを、“お互いに考えていることをそのまま受け入れる”だけを行いました。

 

 

不思議なことに、これでお互いに納得してしまったのです。

 

 

なぜかというと、“お互いにただ自分の意見を聞いてもらいたかっただけ”だったからです。すぐに問題を解決する必要はなかったのです。

 

 

多くの場合、何か問題が生じると、解決しなければならないという思考が働きます。でも、その場にいる方々が果たして問題を解決されることを望んでいるかどうかは分かりません。

 

問題を解決する前に、全ての人の意見を聞くことから始めるのです。実はそれだけで解決する必要がなくなることは往々にしてあります。

 

ちゃんと意見を聞かずに解決しようとすると、「それで納得しろ」と解決法を押し付けられているように感じます。この場合、根本的解決に至っておらず、しばらくすると同じように問題が発生してしまうのです。

 

 

 

気をつかう前にあなたがする、たった一つのコト

 

 

 

人間関係を良くする必要はありません。

 

なぜなら、人間関係は良くするものではなく、“結果として良くなるもの”だからです。良くすることは手段ではなく、結果なのです。

 

 

だから、シンプルに“相手のことをまず理解すること”、これに尽きます。

 

 

相手のことを理解できないと、あなたはずっと勘違いをしたまま、その相手との人間関係を続けることになります。表面所は人間関係が良くなったように見えても、しこりのようなかたちで相手との間に残り続けます。

 

誤解がある状態でいくら相手と何回も人間関係を形成しようとしても、ただ誤解がさらに発展してしまうだけなのです。

 

 

その状況を作っているのは実はあなたの方だったりするんです。

 

 

「わたしはこんなにあなたのために尽くしているのに・・・」

 

と思っていたら、実は逆なんです。実はあなたが生み出した誤解を、あなた自身がさらに発展してしまっているのです。

 

ヒトは自分のことを正当化してしまうものです。

 

でも、あなたが悪いわけではありません。

 

それは、ごく自然に起こってしまうことなのです。

 

 

“誤解はただ、ただ、ごく自然に起こります”

 

 

だから、『起こっている事実をありのまま観察すること』、それだけでいいんです。

 

あなたが気になる方がいれば、その方のことをよ~く観察してみてください。問題は全然別のところにあるかもしれません。

 

実は、トラブルを引き起こしているその方は、自分を守るために必死なのかもしれません。それが自己中心的な行動としてただ現れている、ただそれだけのことなのかもしれません。

 

 

こどもが自己中心的な行動をとって、それを咎める大人が果たして本当に正しいと言えるのでしょうか?ほとんどの場合、それは大人のエゴとなります。

 

思い出してください。ただ泣くことしか出来ない赤ちゃんに対して、あなたはただ理解しようとすることしか出来なかったことを。

 

「わたしが導いてあげなきゃ」というのは本当にエゴになってしまいます。大人は子供のことをただ見守って、成長のサポートをするだけで良かったりします。

 

 

問題は解決されるためにあるのではなく、“氣づきを与えるため”に存在しているのかもしれません。問題があること自体が問題なのではなく、それを問題と感じてしまっていることに問題があるのかもしれませんね。

 

 

 

まとめ

 

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

 

人間関係は一見、複雑そうに見えてシンプルだったりします。複雑にしているのは実はあなたの方だったりするのです。

 

 

全てにおいて、あなたと同じ人間はいないのです。必ずあなたと異なる価値観を持って生きています。それに対してどうこうすることは出来ません。

 

人間関係がシンプルになれば敵、味方という考え方もなくなります。世の中にありふれている分断、対立のほとんどは、ほんの些細な誤解が火種となって大きな問題に発展してしまっているのです。

 

 

世の中色んな人がいるから面白いのです。それを味わうだけで、あなたの人生はとても豊かなものになるでしょう。

 

 

 

今回の記事はここまでです。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

この記事があなたの人生のお役に立てられれば幸いです。

 

 

そして、あなたの周りで人間関係にお悩みの方がいましたら、ぜひ提案して頂ければ幸いです。

 

心身ともに健やかな日々を過ごせることを、心から願っております。

 

 

まなみち

 

記事作成日:2022年8月15日
最終更新日:2022年8月17日

 

 

 

  • この記事を書いた人

ラマナ・まなみち

人生どん底から“心の在り方”をきっかけに、人生が大きく好転。将来の不安が“楽しみな未来”に変わる。病気から解放され、好きなことが出来る人生。そんな人生をサポートします!

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